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うつ病になった時、会社を休職するまでの経緯

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プロフィールでも少し触れましたが、あおむしは昨年までうつ病で会社を休職していました。

実は、あおむしのうつ病とのお付き合いは今回が初めてではありません。小学校2年生に不登校になったときから、実に25年間も再発と寛解・回復を繰り返しています。

一つの記事ですべてを語ることはとてもできないので、何回かに分けてお話していこうと思います。今回は、私が会社でうつ病になって休職するまでの時を振り返ります。

aomushi1989.hatenablog.com

あおむしの性質

あおむしはもともと、コミュニケーションが苦手です。どのくらい苦手なのかというと、普段親しく話せるような人でも、3人以上集まると途端に会話に入れなくなります。話に入るタイミングを見極めたりするのが大変で、いざ発言しても少しでも話をさえぎってしまったりすると「やっちゃったな・・・」と失敗した気持ちになります。

初対面や親しくない人との会話は、さらにひどいです。基本的に会話は2言以上続けるのは至難の業です。相手が積極的にしゃべってくれる方でないと、話が全く続かず微妙な空気になってしまいます。

社会人生活のうえで避けられない会議の場では、意見があっても発言する勇気がなく、発言する機会が与えられてもあたふたしてしまいます。プレゼンをするときは準備を周到に行い、台本はすべて暗記して本番は全集中して臨みます。終わると1日のエネルギーをすべて使いきったような状態で燃え尽きてしまいます。

面接で自分を誇大広告して言って会社に入った

こんな、いわゆる「コミュ障」なあおむしですが、就職活動は良い会社に入りたい一心で、社会人に求められるコミュニケーション力を全面的にアピールしてしまいます。当時の就活ではコミュニケーション力がある人が優秀で会社は求めている、というようなことがたくさん言われていました。(今もそうなのかもしれませんが)

モノは言いようで(決してウソは言ってませんが)先輩や就活本のアドバイスを参考に自分の経験談をコミュニケーション能力があるように面接では盛りまくっていました。普段から周到に準備したり、身だしなみを整えたりしているせいもあってか、印象もさわやか・誠実に見えたようで、このモリモリ話はかなり刺さり、いくつかの会社から内定をもらうことができました。

転機となった配置転換

こうして無事内定をもらえたあおむしですが、ここからが地獄の始まりでした。コミュニケーション能力を買われて、配属先は関係部署やお客様との協議折衝が多い職場になってしまったのです。それでも最初に配属された職場では、大きな問題もなく過ごせていました。上司がやさしく、丁寧にいろいろ教えてくれたのと、新人であるがために多少のミスをしても上司がフォローしてくれたり、大目に見てもらえたりしたためでした。

しかし、そんな状況も一転します。結婚したのとほぼ同時に配置転換が言い渡され、職場でも有数の大変なプロジェクト+いわくつきの上司の下で働くことになったのです。

職場にはもともと若手の社員が少なく、(消去法的に)将来の管理職候補と期待されていたこともあって、新しいプロジェクト・上司の下では負荷の高い仕事がガンガン降ってきました。残業は月60時間以上が日常的になり、さらに結婚を機に会社から離れた場所に住むようになったため、通勤も含めると時間外は実質100時間越えの労働環境になりました。

同時に、私のコミュニケーション能力の無さが露呈していきます。他部署との協議折衝が苦手でうまくいかず、中々進捗できないでいると、上司から急かされ注意されました。それでもうまくいってないと、長時間説教されます。この時間は純粋に辛いし、「なんでこんなことも自分はできないんだろう・・・」と自分を責めることにもつながりました。

心療内科を受診しうつ判明、最初は働き続けることを選んだ

あるとき、毎日帰りが遅くて疲れているはずなのに、夜中眠れなくなりました。なんというか、布団に入ってもアドレナリンが出て心臓がドキドキして落ち着かない感じがするのです。ひどいときは明け方になってもその状態が続きました。

市販の睡眠薬を飲んでもほとんど効果が無かったため、医療用の睡眠薬をもらうために心療内科を受診しました。そこで問診をした結果、やや重いうつ病であることがわかりました。

これまでにもうつ病になってしまったことがあったので、この時は「あーまたなっちゃったか」というやや楽観的?な気持ちでした。処方してもらった薬をしっかり飲めば、睡眠不足も解消されるし良くなる・・・と思い、休職せずに通院しながら働き続けることを選びました。

症状が徐々に悪化

通院しながら働き続けることを選びましたが、状況は悪くなる一方でした。睡眠薬を飲むと夜眠れるようにはなりましたが、午前中まで眠気が残ってしまい、仕事の集中力が続かなくなってしまいました。

このころ、長時間労働が続いていたため会社の産業医とも面談することになります。自分がうつ病と診断されていることと、それでも働き続けたいことを伝えると、産業医はその気持ちを尊重してくれて、仕事の負荷を減らして働き続けられるように残業時間を制限してくれました。ただ、問題であった仕事が自分にあっていないこと、上司との関係が悪いことは、会社との情報共有を恐れてしまい、打ち明けることができなかったです。これが、のちに自分のうつ病を長引かせてしまう大きな原因となりました。

残業時間の抑制で仕事の負荷は減りましたが、任される仕事の質や人間関係は変わりません。むしろ、残業できず限られた時間内で仕事をこなさないといけないのは大きなプレッシャーになりましたし、他の忙しそうにしているメンバーを尻目に一人で先に帰ることもはばかられました。自宅に帰っても安らぐ時間は無く、明日の仕事や出口の見えない仕事のことを考えていくうちに、慢性的な胃もたれや腹痛に見舞われるようになりました。

ライフイベントが重なる

ちょうどこのころ、あおむし家に子どもが誕生します。子どもの存在はとてもいとおしく、勇気づけられました。しかし、妻と子どもが里帰りから戻り、育児生活が始まると家も安らげる場ではなくなります。

子どもの夜泣きが激しく、夜中に頻繁に目覚めるようになります。また、妻は育児で家にこもりきりで徐々に育児ノイローゼになっていきました。私のほうはというと、うつの影響で家に帰るともはや気力がなく、育児に参加したり、疲れ果てている妻を助けたりすることができませんでした。「なんで自分は何もできないんだろう・・・」家でもそう思うようになり、この状況はますます私を追い込んでいくことになりました。

部署異動をするが、逆効果に

仕事もプライベートも限界に達しつつあった私は、状況を変えるために部署異動を申し出ます。会社では、自己申告制の部署異動制度があり、それを利用することにしました。

この制度では異動先の部署と面接がありました。ここで私の悪いクセが出てしまいます。部署異動を勝ち取りたいがために、自分がうつという状況を伝えず、異動先で色々なことにチャレンジしたい、上を目指したいと話してしまったのです。それでも働く環境が変われば、きっと今の状況も変わってまた頑張れる・・・そう楽観していたのだと思います。そしてそれは、甘い考えでした。部署異動は無事認められたものの、結果的にこれはさらに自分を追い詰めることになってしまいました。

まず、元いた部署との関係が悪化します。内示から異動まで1か月間の期間がありましたが、私がいなくなることがわかると上司から新たな仕事は与えられなくなりました。仕事の負荷こそ減りましたが、周りは忙しそうなのに自分だけ暇をしているような感じは、居心地の悪さを感じました。また、じきにいなくなる私と話している暇はないと思われたのか、上司に話しかけても冷たい反応が返ってくるため、次第に日々のコミュニケーションもとれなくなってしまいました。異動するまでの1か月間は、仕事を引き継いでくれる同僚と話す時間以外は孤独で、とにかく辛かったです。もと居た部署の最終出社日は、部署全員の前で異動の挨拶をしましたが内容はしどろもどろ、逃げるように自分の荷物を持っていったのを覚えています。

そして新しい部署でも苦難が待ち構えています。即戦力として採用されたこともあり、新人のように丁寧に指導して徐々に仕事を覚える・・・というわけにはいきませんでした。配属1日目の面談で、いきなり主任として1つのプロジェクトを進めることを言い渡されます。右も左もわからない状況で、親しい人も頼れる人も無く、短い期限の中で結果を出さなければならないのは大きな負担でした。

ついに休職へ

この頃になると、日中の集中力低下と胃もたれ・腹痛は顕著になります。朝は意識がもうろうとした中で通勤電車に乗ります。降りた駅ではふらつきが激しく、ホームから線路に落ちそうになったときが何度もありました。

会社ではデスクワークになるので、資料を見たり書類を作成したりするのですが、全く集中できず何回も資料を見返したり、簡単な1つの書類を作るのに1時間以上かかることもしばしばでした。また、他の人と話していても、その人のしゃべっていることが全く理解できず、耳で聞いてはいるけど、そのまますり抜けていくような感じがしました。

それでも何とか仕事をこなし、与えられたミッションの1つをクリアします。しかし、1つの仕事が終わると、さらに難易度の大きな仕事がいくつも振られるようになりました。

そして、配属から約半年が経過した正月休み明け、体調を崩して会社を1週間以上休んでしまいます。朝、まったく起き上がれなくなってしまったのです。その後、会社と調整して在宅勤務をやらせてもらうことができましたが、仕事に全く集中できず、ただ画面を見つめるだけになってしまいました。もちろん育児も手付かずです。この時、何もできない自分に対して、「もう消えてしまいたい」と思うようにすらなっていました。

「あ・・・もう限界だな」と感じた私は、いつも通っていた心療内科の主治医に現在の状況をすべて伝え、休職したいという話をしました。状況を理解してくれた主治医は、2か月間休職の診断書を書いてくれました。また、休職するということに罪悪感を感じてしまった私ですが、その後の産業医との面談でも、私の状況を聞いて「今はお休みしましょう」と言って背中を押してくれました。

休職に入る前の会社との面談では、事前に産業医から会社に情報を伝えてくれていたこともあって、所属長や上司は休職について理解を示してくれました。うつの影響でうまく話すこともできなくなっていた私ですが、しどろもどろになりながらも自分の状況と今はお休みしたいということを伝え、簡単な引継ぎだけしてから休職に入ることになりました。私は診断書を会社に提出し、会社からは月に一度提出する傷病手当金の申請書を受け取り、休職を開始しました。

続く

こうして休職に入ることになったあおむしですが、ここから中々回復せずにもがき苦しみます。長くなってしまったので、この話はまた今度します。

いつもは何か1つでも役に立つ記事を書く、と思ってブログを書いているあおむしですが、今回はエピソードを振り返るだけの重いモノローグになってしまいました。もし少しでも共感できるところがあれば、うれしいです。

ではまた。